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東洋ショー劇場は、大阪府大阪市北区池田町にあるストリップ劇場。客席数87席。1964年2月1日開館。
○歴史
1964年2月1日に開館した。『週刊実話』は地元風俗誌記者の話として、「1985年に営業を開始した」としている。経営は東洋興業。同じく東洋興業の経営により、往時は仙台市、松戸市、川崎市、宇都宮市、美作町(現美作市)、北九州市、熊本市、菊池市、鹿児島市など日本中に同名の劇場が多数存在していたが、現在は同劇場のみが存在している。

○特色
ステージ、観客席の広さ、照明・音響などの設備面、また所属踊り子数などいずれも西日本最大級を誇っており、名実ともにストリップ劇場の西の雄であると共に、ロック座、道頓堀劇場などと並びストリップ業界大手の一つである。ロック座と同様にアダルトビデオ女優経験者、及び現役アダルトビデオ女優の踊り子が複数在籍していることでも知られる。

○交通アクセス?
JR西日本大阪環状線天満駅から徒歩約5分
Osaka Metro堺筋線・谷町線・阪急千里線天神橋筋六丁目駅から徒歩約6分

○所在地
〒530-0033大阪市北区池田町11-1

有限会社東洋ショー劇場という会社が運営している。


北新地は、大阪府大阪市北区の歓楽街。また、本項目では北区の町名である曽根崎新地についても述べる。現行行政地名は曾根崎新地一丁目及び曾根崎新地二丁目。
〇沿革
1685年(貞享2年)に開始された河村瑞賢による堂島川・曽根崎川の改修に伴って堂島で新地開発が行われ、1688年(元禄元年)に堂島新地が誕生した。堂島新地は大坂城下の北端、または、船場の北に位置することから「北の遊里」と呼ばれた。1697年(元禄10年)には、それまで豪商淀屋の邸宅前、淀屋橋南詰の路上で開かれていた米市が堂島新地で開かれるようになった。 西成郡曾根崎村領内となる曽根崎川の北岸でも新地開発が行われ、1708年(宝永5年)に曾根崎新地が誕生し、大坂三郷に編入された。一方、堂島新地は「商いの場」へと変わり始め、1730年(享保15年)に堂島米会所が開設される頃には遊里のほとんどが曾根崎新地へ移転した。 以降、曾根崎新地は「北の遊里」「北の色里」「北の新地」と呼ばれ、米商らの遊興場所として繁栄した。近松門左衛門の『心中天網島』に登場する小春は曾根崎新地の遊女である。また、諸藩の蔵屋敷が立ち並ぶ中之島・堂島から近いこともあって、大坂では珍しい武家の来客も多く、もっぱら町衆で賑ったミナミの南地五花街とは当時から性格を異にする街であった。 1909年(明治42年)に天満の空心町から福島付近にまで燃え広がった北の大火によって全焼。大量に出た瓦礫で曽根崎川の堂島掘割より上流側が埋め立てられ、川跡の街区ができた。

〇範囲
大阪府大阪市北区曾根崎新地1丁目・堂島1丁目・堂島浜1丁目
北端:曽根崎通(国道2号)
西端:四つ橋筋
東端:御堂筋(国道25号)
南端:堂島浜通り

最寄り駅はJR東西線 北新地駅であるが、飲食街の利用者の多くがタクシーを利用する。そのため、高級クラブが開店する20時前後はエリア内がタクシーで溢れかえることが多い。なお、22時から1時まで上記の道路に囲まれた内側への自動車の乗り入れが禁止され、周囲の道路も駐停車が禁止される。

〇経済
・主な業種
高級クラブ、ラウンジ、スナック、バー、小料理屋が中心であり、庶民性は一部のチェーン展開な飲食店を除いてほとんどなく、接待需要や著名人需要などに支えられているといえる。なお、北新地でいうラウンジとは独特かつ明確な定義があるものであり、クラブ(5万円以上など高額だがホステスが客の席に座って接客できる)とスナック(1万円程度などだが店員が客席に着席して接客できない業種)の中間のサービス(ラウンジは客席同席での接客を受けられるため、さしずめ、高級ではないクラブを指す。)を中級料金(2万円~3万円程度など)で提供する業種を指す。北新地以外の歓楽街ではラウンジの定義がかなり曖昧である。 バブル崩壊、デフレ、リーマンショックなどを経て、2010年現在では、ガールズバー、ポールダンスバー、1時間2000円飲み放題歌い放題のカラオケラウンジ、新世界 (大阪)の串カツ店など、カジュアルな店舗も進出している。 地域の業種が変化するにつれ、ガールズバーなどの客引き行為やスカウトが増加したため、大阪市は北新地一帯を2018年11月より大阪市客引き行為等の適正化に関する条例に基づく重点地区に指定。客引き行為などに対して対抗措置を打ち出した。


黒誠会は、大阪府大阪市北区中津3-35-5に本部を置く暴力団で、神戸山口組の二次団体。
〇略歴
・初代
黒澤組副組長前田組組長前田和男は、黒澤組の解散に伴い、前田組から黒誠会に改称し、四代目山口組に参画した。
五代目山口組に参画した。1988年5月27日、五代目山口組若頭補佐に就任した。五代目山口組若頭補佐黒誠会会長前田和男は、引退した。

・二代目
黒誠会若頭剣政和は、二代目黒誠会会長に襲名し、五代目山口組に参画した。2005年8月、六代目山口組に参画した。2007年、六代目山口組幹部に就任した。2015年8月26日、六代目山口組を離脱した。2015年8月27日、共に離脱した13団体と神戸山口組を結成し、神戸山口組若頭補佐に就任した。2015年10月15日、警視庁本所署は、知人から現金を脅し取ろうとした恐喝未遂容疑で、二代目黒誠会本部長中井敏明(65)を逮捕した。

〇歴代
初代-前田和男(五代目山口組若頭補佐/四代目山口組若中/黒澤組副組長)1993年09月10日死去

〇当代
二代目-剣政和(神戸山口組若頭補佐/六代目山口組幹部/五代目山口組若中/黒誠会若頭)

〇構成
会長-剣 政和
若頭-神田清正(神田組組長)
舎弟頭-寺村洋一(寺村組組長)
本部長-中井敏明
若頭補佐-近藤英二(二代目濱田組組長)
若頭補佐-森龍明(五代目九紋龍組組長)
顧問-松宮和彦(松宮組組長)
相談役-高木赤心(赤心会会長)
舎弟-津田龍二(京龍会会長)
若中-竹内一弘







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