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【サウナ市長と呼ばれて/第1回】元池田市長「なぜ私は市長控室に家庭用サウナを持ち込んだのか」
空前のサウナブームの到来で、全国のサウナ施設はどこも満員御礼。「サウナー」と称されるサウナ愛好家たちが“ととのい”という名の悦楽を求めて行列をなす一方、サウナがきっかけで身を崩した男がいる。彼の名は冨田裕樹(45)。2019年4月に大阪府池田市長選挙に出馬し当選するも、市役所内の市長控室に家庭用サウナを持ち込んだことが問題視され、百条委員会を設置されるまでに発展。パワハラ疑惑なども噴出し、2021年7月で辞職に追い込まれた男である。あの騒動から1年。「サウナ市長」と呼ばれた冨田氏は妻と子を大阪に残し、単身で東京にいた。彼はいま何を思い、あの騒動と結末をどう飲み込んだのか。元サウナ市長の知られざる苦悩の日々を追った──【全3回の第1回】。
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そもそも、あの騒動が明るみに出たのは冨田氏が池田市長に就任して一年半後のこと。2020年10月に配信された『市役所に勝手に住み着いた大阪「池田市長」家庭用サウナも持ち込んだ証拠動画』というネット記事からだった。「私が市長に着任したときから、完全にアウェイの風が吹いていました。前の市長は市議を20年、市長を20年やっていて、役人も部下もみんなファミリー意識が強く、多くのコネや既得権益が存在するといった完全なるムラ社会でした。そのため、私を蹴落とすためにさまざまな嫌がらせを受けてきたので、そのたびにデイフェンスして跳ね除けながらなんとか公務を遂行してきました。家庭用サウナやパワハラ疑惑が報じられたときは、『マスコミに売ったか』、『いよいよここまで来たか』という感じでしたね。家庭用サウナを市長控室に持ち込んだ理由は2点。ひとつは、学生時代にアメフトをやっていたため首のヘルニアになり過去に4回も手術しているのですが、実は公務中にも頸椎に痺れが出始めまして。サウナの中で首をけん引したり、体を温めることで体調管理をする必要があったから、家庭用サウナを市長控室に設置して昼休みにだけ使わせてもらうことにしました。そしてもうひとつは、旧体制から執拗な嫌がらせを受け続けていたため、いずれ家族にも危害を加えられるのでは……と考えるようになりまして。私に危害が及ぶのはまだいいとして、それが家族に及んだら悔やんでも悔やみきれません。そのため妻と子供には別の家に引っ越してもらい、私だけ小さな部屋で暮らし始めたのです。これまで使っていた家庭用サウナを単身用の新居に持ち込むことはスペース的に難しかったため、秘書とも話し合いながら、『体調管理もあるし、一時的に置かせてもらってもいいかな』ということで、家庭用サウナを市役所に移送することにしたんです。落ち着いたら広い部屋に引っ越しをして、そこにサウナを移送するつもりでした」(冨田氏、以下同)
しかし、折しも空前のサウナブーム。「公務中にととのっているのか?」との市民からの鋭いツッコミが広まり、冨田氏は窮地に立たされることに。すぐさまサウナ利用時の電気代を返還したが、その額が合計690円という破格の安さだったことがさらなる注目を集めた。サウナーの間では「ちょっ! 家庭用サウナはこんなにも電気料金が安いの?」と話題になり、冨田氏が使用していた家庭用サウナ『ナチュラルスパ コンパクト』は実際に売り上げがアップしたという。「電気料金は市役所のものですので、返還するのは当然です。家庭用サウナを持ち込んで実際に使用したのが30日。使用時間も含めて関西電力の計算式と照らし合わせて、誠実に使用料金を出させていただきました。後遺障害の症状緩和という理由があったにせよ、やはり公人たるもの、公私混同と誤解を招くようなことはやってはいけないと深く反省しております」冨田氏への糾弾は家庭用サウナだけにとどまらず、「自転車型トレーニング器具やストレッチ器具を市長室に持ち込んだ」「市長室でキャンプ用の鍋でラーメンを調理し、芋を湯がいた」などといった行為が百条委員会やマスコミによって報じられ、「市長室をレジャー感覚でカスタマイズしている」疑惑が浮上。「箸、食品、ダンベル、なわとび、ネクタイ、キャンプ用鍋、ガスボンベ、バーナー、鍋セット、ジューサー……」と冨田氏が市役所内に持ち込んだとされる私物を百条委員会の担当者が淡々と列挙するシーンは連日のように報道され、「市長室を私物化するサウナ市長」というイメージが大きく拡散された。加えて、「職員にタオルや鍋を洗わせた」とも報じられ、職員に対する恫喝や叱責とも取れる録音データの存在が明らかになり、パワハラ疑惑までもが広く報じられたのだ。「パワハラなんて一度もしたことありませんし、すべて冤罪です。あの録音データは卑劣な政治家と電話で激しくやり合ったときの音声を録音されたもので、職員に対してのものではありません。トレーニング器具やストレッチ器具に関してはサウナと同様、体調管理のために私物を持ち込んだだけです。また、市長室内でラーメンを調理して食べたことは一度もありません。先日、知り合いに『あの当時、市長室に七輪を置いてたってほんま?』と聞かれてがく然としましたが、マスコミ報道の影響でそんなふうに誤解されている方がたくさんおられるかもしれませんね。私物で市長室をカスタマイズして遊んでいたわけでもないですし、バーベキューセットを常備して友達を呼んで宴会していたわけでもない。すべては万全な状態で公務をするために必要だった、それだけなんです。ただ、早朝から働きづめで昼ご飯を取る時間もないほどでしたので、鍋で卵をゆでて食べたことは何度かあります……あっ、すいません! 芋は一度だけ湯がいたことがあります。支援団体の方が市長室にこられて『これ食べたら元気になるんで食べてください』と芋をいただいたので、ゆで卵をつくるときに一緒に湯がいていただいたんです。『タオルを職員に洗わせた』という点に関しても、秘書課の職員が『庁舎にある洗濯機で一緒に洗うだけなんでやっときますよ』と善意で言ってくれたのでお願いしたのですが、噂が広まって最終的には『冨田が女性職員に無理やり汚いタオルを洗わせたことで、その女性職員が心療内科に通院するようになった』という話に脚色されて、百条委員会で詰問されることになりまして。その女性職員はぜんぶ否定してくれたんですが、メディアでは『冨田が女性職員に無理やりタオルを洗わせて心療内科に通うようになった』と僕に詰問しているシーンだけが繰り返し流されたため、そのようなイメージになってしまったんでしょうね」さまざまな疑惑をなんとか晴らそうとしていた冨田氏だったが、2021年4月、第11回の百条委員会が開催され、「不信任決議が相当」とする報告書案が全会一致で可決。同月、冨田氏は「けじめと責任を取る」として市長を辞職すると表明した。そして2021年7月30日、サウナ室のような暑い夏の日に、彼は一市民に戻ることになった──。(第2回につづく)
取材・文/田辺健二 撮影/渡辺利博 NEWSポストセブン / 2022年7月23日 7時15分

【サウナ市長と呼ばれて/第2回】送った履歴書400枚、家はゲストハウス、45才の元市長、苦難の「再就職戦線」
働く男たちがサウナで疲れを癒す一方、サウナで身を崩した男がいる。彼の名は冨田裕樹(45)。大阪府池田市長時代に市長控室に家庭用サウナを持ち込んだことが問題視され、百条委員会が設置されるまでに発展。パワハラ疑惑なども噴出し、2021年7月で辞職に追い込まれた男である。第1回では彼が「サウナ市長」と呼ばれるまでの顛末を追ったが、市長を辞してから彼がどのような生活を送っているのかはまったく報じられていない。彼はいま何を思い、前代未聞のサウナ騒動とどう向き合っているのか。女性セブンWEB取材班が、元サウナ市長の知られざる苦悩の日々を追った──。
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2021年7月30日、「けじめと責任を取る」として市長を辞職した冨田氏。8月29日には出直し市長選挙に再出馬し、炎天下の路上で「潔白」の意味を込めた白いシャツをまとい必死に選挙活動を繰り広げたが、候補者4人中最下位で落選。家庭用サウナを市長控室に持ち込んだことで前代未聞の騒動を生んでしまった男は、さまざまな疑惑を払拭できないまま、市長のイスを完全に失ったのだった。「頸椎の後遺障害の症状緩和のためとはいえ、家庭用サウナやトレーニング器具を持ち込んだことは事実ですし、公人として公私混同と誤解を招くようなことをしたのは今も反省しております。このような騒動を起こしたけじめと責任を取るという意味で辞職を決めたのですが、パワハラ疑惑をはじめとする“でっちあげ”の数々は最後まで否定し続けました。市民の皆さんにもさまざまな誤解を招いてしまったため、その誤解を解き疑惑を払拭するために再出馬したのですが、無所属で出直し選挙だったということもあり、個人の力とはこれほど小さいものなのかと痛感しましたね。私は“地方政治の闇”、“池田市にはびこる闇”と戦い続けてきたという自負はあります。古傷が悪化し頸椎に痺れが出たり、胃潰瘍にもなるほど満身創痍でしたが、それでも点滴を打ちながら早朝から深夜まで市民の皆さんのために働き続けました。志半ばで辞職することになったのは残念で仕方ありませんし、わきが甘くて反省する点も多々ありましたが、市民の皆さんのためにやるべきことはやったと胸を張っていたい」とはいえ、政治家の道をあきらめたわけではないという。「政治家という身分にこだわっているわけではなく、社会をよくするための最善の手段が政治家だと思っています。日本の法的な問題とか歪な社会構造を変えようとしたら、政治家になるしかない。ですから、いずれは国政の道へ進みたいという強い意志はあります。しかし、今はまだ、その時期ではない。私に対して誤解を抱いている方がたくさんおられますので、ひとつひとつクリアにしていきながら、とは思います。それに、妻と子を養っていかなければいけないので、このまま無職というわけにもいかない。というわけで職探しを始めたのですが、これがかなり苦戦しまして……」冨田氏は「市長月額給与30%カット、退職金ゼロ」を公約に掲げて当選していたため、辞職時に潤沢な貯金があるわけではなかった。そのため、すぐさま職を見つける必要があったのだが、ここでも「サウナ市長」という負のイメージが彼を苦しめることに。「身の潔白を証明するには活動の拠点を東京に移すしかない。そんな思いから東京で職探しをしていたのですが、私の履歴書を見た人事の方が、ネットで名前を検索すればすぐ『わっ、サウナ市長や!』ってなるみたいなんですよね。こんな面倒くさいヤツをわざわざ雇いたくはないじゃないですか。結局、履歴書だけでも400社近くに送ったと思いますが、すべて全滅でした。この歳からの再就職ですから年齢的な面でも不利なうえに、サウナ市長という悪いイメージがずっと付きまとってくる。正直、苦しかったですね。ただ、履歴書には池田市長だったことも明記しましたし、『今後、政治家を目指していきたい』という自分の意思もしっかり書きました。嘘だけはつかないでおこうと決めていましたので、一切自分の身元をごまかさず、すべてをさらけだして就職活動をしていたため、ここまで苦戦を強いられたのかもしれません」当時は東京のゲストハウスに身を寄せ、夢を追う若者たちと寝食を共にしながら就職活動をしていたという冨田氏。節約をしながら、一日でも早く仕事を見つけようと、東奔西走していたという。「お金が続かないので夜勤のバイトをしつつ、そのまま朝からネクタイをして面接に行くという日々でした。疲れ果ててゲストハウスで昼間から寝てしまうときもありましたね。同じ時期に寝泊まりしていた若者と仲良くなって一緒にキッチンでご飯を作ったりもしました。『何をしてる人なんですか?』と聞かれたときは答えに困って『いろいろやってたよ』としか言えませんでしたけど。『45歳でゲストハウスに泊まってて、この人、大丈夫かな?』と心配されていたと思いますね。彼らとは仲良くはなりましたけど、結局連絡先は交換しませんでした」そんな苦しい時期を乗り越え、無事に職を見つけたという冨田氏。現在は公共政策のコンサルタントや企業顧問などを中心に忙しい日々を送っている。「結局は就職というかフリーランスのようなかたちでコンサルタントや企業顧問をやらせていただくことになったのですが、私が市長時代にさまざまなでっちあげで辞職に追い込まれたことをすべて知っている人たちにお世話していただきまして。本当に感謝しかありません。今はゲストハウスを出て、ビジネスホテルで暮らし、月に何度か家族のもとに帰るという日々です。ちなみに、このビジネスホテルにサウナはついていません(苦笑)。サウナがきっかけでいろいろありましたが、サウナを嫌いになったわけはありません。今もたまには行きますよ。やはり体温をあげるってすごく大事ですし、副交感神経を刺激してリラックスもでき、ストレスの解放にもつながる。サウナとは今度も適度な距離感で付き合っていきたいと思っています」政治家として再起を図るため、ひとまずは安定した生活を手に入れた冨田氏。その晴れやかな表情は、サウナでととのった男たちが浮かべる笑顔のようでもあった。(第3回につづく)

取材・文/田辺健二と女性セブンWEB取材班 撮影/渡辺利博NEWSポストセブン / 2022年7/27(水) 16:15配信

【サウナ市長と呼ばれて/第3回】私が見た地方政治の闇「続けたいなら何もするな」正義がまかり通らない世界とは
働く男たちがサウナで疲れを癒す一方、サウナで身を崩した男がいる。彼の名は冨田裕樹(45)。大阪府池田市長時代に市長控室に家庭用サウナを持ち込んだことが問題視され、パワハラ疑惑なども相まって、2021年7月で辞職に追い込まれた男である。今回のインタビューで彼の口から何度も飛び出した「地方政治の闇」。これは何も池田市だけの話ではない。広島県安芸高田市議会の「居眠り騒動」、千葉県市川市の「市長室ガラス張りシャワー室騒動」、兵庫県尼崎市の「USB紛失騒動」、山口県阿武町の「持続化給付金4630万円誤送金騒動」など、地方政治に目を向けるとなんともお粗末な事件や騒動がたびたび報道されている。では、実体験として地方政治の闇を体感してきた冨田氏はこれらの騒動についてどのような思いを抱いているのか、女性セブンWEB取材班が追った。最終回となる今回は、数奇な騒動を体感した冨田氏だからこそ知る、さまざまな地方政治の闇に光を当てた──。
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冨田氏が池田市長を辞職するきっかけとなった「市長室に家庭用サウナをはじめとするいろんな私物を持ち込みすぎた問題」。公私混同と誤解を招いたことは本人も認めていたが、それでも「百条委員会まで設置するのはやりすぎでは?」という声があったのも事実だ。「そこまでして、とにかく私を市長の座から蹴落としかったということなんです。地方政治はさまざまな利権や既得権益やしがらみが存在しており、私のように『池田市をよくしたい』という思いで改革を起こそうとすると異分子と見なされ、徹底的に排除しようとする。私が市長に就任した直後、周りの職員から『とにかく一期目は何もしないでほしい。改革は二期目でやりましょう』と言われました。性急な改革は旧勢力を刺激することになり、必ず揉め事になる。それが地方政治の特徴です。自分がしたことを棚に上げるあげるわけではないですが、正直、私物持ち込み程度で百条委員会は私もやりすぎだと思いますよ」最近では、広島県安芸高田市議会の「居眠り騒動」が何度も報じられ、元エリート銀行マンの石丸伸二市長と議会との対立が何度もクローズアップされている。市議会との対立という意味では似たような経験をした冨田氏の目にはどう映るのだろうか。「この石丸市長という方も『安芸高田市をよくしたい』という強い意志を持っておられる方だとお見受けしますが、旧態依然とした市議会議員に対して『恥を知れ恥を!』とまで突き付け、対立関係が深まってしまったばかりに、副市長案や議員定数削減案を否決されるなど窮地に立たされている。すべての地方自治体がそうだとは言いませんが、昔ながらの義理人情が優先される世界だというところはたしかに多いんです。挨拶がないとか、『前もって聞いてない』とか、そういう低い次元で反発心を抱き、旧体制で徒党を組み、新興勢力を駆逐しようとする。市長を長くやりたいなら、何もせずずっとニコニコしていればできますから。居眠りなんて見過ごして、一緒に仲良く酒でも酌み交わしていたら駆逐されることはない。しかし、それでは何も変わらないんです。私は池田市長時代にさまざまな事業見直しや機構改革を推進しましたが、これらの変革の種をまいても芽が出て花を咲かすまで少なくとも3年はかかる。つまり、1年目からフルアクセルを踏まないと任期中に改革なんてできないんですよ。だから真面目に改革をしようとする市長ほど議会と衝突してしまうんです」では、2021年2月に報じられた、千葉県市川市の「市長室ガラス張りシャワー室騒動」についてはどうか。約360万円を費やして新設されたガラス張りのシャワー室だけでなく、「公用車をテスラに変更」「市長室に合計1058万円の家具を導入」も明らかとなり、当時の村越祐民市長の金満ぶりが問題視された。奇しくも冨田氏の「サウナ騒動」が紛糾していた頃と時期が重なっていたが……。「そうですね……。繰り返しになりますが、私が後遺障害の症状緩和のために持ち込んだ家庭用サウナやトレーニング器具はすべて私物ですし、もちろん水風呂があったわけでもなく庁舎のシャワーも壊れていたので、サウナやトレーニング後は濡れたタオルで体をふく程度でした。とはいえ、ガラス張りのシャワー室はやりすぎだと感じますし、市長室の家具に1000万円以上を費やしていたのも、あきらかにやりすぎです。ちなみに私の場合は市長室のイス、パソコン、パソコン机、冷蔵庫などもすべて私物を持ち込んで使用していました。理由は、徹底して公費の使用を控えたかったからです。また、公用車をテスラにするというのも当然ながらやりすぎです。私の場合は職員の負担削減とコスト軽減のため、公用車の使用自体を極力控えておりました。むしろタクシーを使用したほうがよっぽど割安で、職員に時間外手当を出す必要もないと判明したためそうしていました」繰り返し報道される地方行政発のお粗末事件簿。旧態依然とした地方自治体が伏魔殿化しやすいのなら、「もはや地方議員自体が不要なのでは?」という思いすら抱いてしまう。「地方政治では、誰かひとりをやり玉にあげて徹底的にいじめ抜いて排除するということが可能な世界。地縁血縁が強く、しがらみや既得権益の巣窟であり、正義がまかり通らないゆがんだ世界なんだと、私は身をもって感じました。ただ、だからといって地方議員が不要だとは思いません。まずは地方議員の在り方を抜本的に変えるべき。例えばデンマークのように地方議員という仕事をボランティアだけにすれば、カネや利権は生まれないはず。伏魔殿化して足の引っ張り合いをし続ける地方自治体って、今後の日本のためにも次の世代のためにもならないし、誰も得しないじゃないですか。私は今回のサウナ騒動を通じて、根本的な解決は地方政治からでは無理なんだと痛感しました。国のトップから落としていかないと地方は動かない。だからこそ、来るべきタイミングで国政の道に進み、最終的には地方政治の在り方を変えていきたいと、強く思っています」空前のサウナブームの折、“ととのい”という境地に達するにはサウナと水風呂の温冷交代浴を3セット繰り返すことが推奨されている。それで言うならば、彼の政治活動はまだ1セット目。来るべきタイミングで彼が2セット、3セットと繰り返し、国政から地方政治をととのわせることができるのか。元“サウナ市長”の灼熱の巻き返しに期待したい。

取材・文/田辺健二と女性セブンWEB取材班 撮影/渡辺利博NEWSポストセブン / 2022年7/27(水) 16:15配信

この人は自分のやったことに反省していませんね。「国政から地方政治をととのわせることができるのか。元“サウナ市長”の灼熱の巻き返しに期待したい。」と書いてあるが誰もこの人に期待していません。この人を企業顧問として雇用する企業ってどこの会社なのでしょうか。


日本維新の会の清水貴之参院議員(兵庫選挙区)が代表を務める政治団体「清水貴之後援会」が、2017年と20年分の政治資金収支報告書に「日本維新の会国会議員団」からの寄付を記載しておらず、訂正していたことが6日、分かった。収支報告書などによると、後援会は17年に議員団から計200万円の寄付を受け取ったが、収支報告書に記載していなかった。20年分も同議員団から2回に分けて計200万円の寄付を受け取ったが、そのうち100万円が不記載だった。20年分は外部からの指摘を受けて昨年12月に訂正。17年分は神戸学院大の上脇博之教授から政治資金規正法違反の疑いで告発を受け、今年4月に訂正した。清水氏の事務所は「事務処理上のミスだった。対策を強化したい」としている。(三島大一郎)

2022/5/6(金) 17:14配信 神戸新聞

「また、大変な難題を抱えることになったな」とAERA dot.の記者の取材に、表情をゆがめたのは名古屋市の河村たかし市長。というのも、2019年7月の参院選で、河村氏が代表を務める地域政党の減税日本と日本維新の会が公認した岬麻紀氏(現衆院議員)が、そのときの選挙公報に、虚偽の経歴を記した公職選挙法違反の疑いがあるとして、東京都の男性から名古屋地検に刑事告発されたのだ。
告発状の日付は5月1日。内容は、岬氏は19年7月の参院選で愛知選挙区から出馬し、公示後に愛知県選挙管理委員会が配布した選挙公報に、「プロフィール」として「亜細亜大学非常勤講師」との経歴を掲載させたが、同大学で非常勤講師を務めたことはなく、当選を得ようと虚偽の経歴を掲載した、というもの。岬氏は、19年の参院選では落選したが、昨年10月の衆院選では、日本維新の会の公認で愛知5区から出馬し、比例復活当選した。この時の選挙公報には、非常勤講師の経歴はなかった。選挙公報は、国政や都道府県知事の選挙の際に、自治体の選管が発行し、有権者に配布されることが公職選挙法によって定められている。候補者の氏名や所属政党、経歴などが掲載されている。19年の参院選で、愛知県選管が発行した選挙公報の岬氏の「プロフィール欄」には、生年月日や出身地などの後に、会社代表やフリーアナウンサー、亜細亜大学非常勤講師といった経歴が書かれている。このとき、減税日本の愛知県支部長も務めていた。AERAdotでは、岬氏が19年6月1日付で、減税日本に提出した経歴などが書かれた書面のコピーを入手した。パソコンで打たれた経歴が並ぶ中、最下段に手書きで、<亜細亜大学非常勤講師>と書かれている。それとともに、岬氏が残している手書きのメモには、亜細亜大学の非常勤講師の後に、<2013、2015、2016>とあった。当時、岬氏を面接し、選挙公報の作成にかかわった、減税日本の党幹部はこう振り返る。「減税日本では最初、別の候補者を検討していたがダメになり、急きょ、他県の元知事の推薦もあって岬氏を擁立する話になりました。選挙公報の作成も必要なので、面接の際には履歴書などを持参するよう伝えました。面接している時に、亜細亜大学の非常勤講師をしていたとの話があり、岬氏自身がペンで履歴書に書き込んだんです。『2013年』など具体的に務めていた年度を話し、メモにすらすらと書いていきました。選挙に出馬しようとする人物がウソをつくこともないだろうと……」この点について、亜細亜大学に取材を申し込んだが、「個人情報なのでお答えできません」との回答だった。しかし、AERAdotが入手した、亜細亜大学が3月に作成した内部資料には、「岬麻紀」「岬まき」、そして本名の「小出麻紀」という名前の人に、非常勤講師を委嘱した記録はない、と書かれていた。岬氏は「株式会社ポリッシュ」という会社の社長であることも、選挙公報に記されている。その法人登記簿では「小出麻紀」となっており、15年10月に社長に就任している。河村市長にも詳細を確認すると、「減税日本の中でも、岬氏の経歴を確認すべきだとの話があり、19年参院選の履歴書なども含めて調査した。亜細亜大学から、岬氏が非常勤講師だったことはないという内容の回答を文書で得たので、岬氏に事情説明を求めようと、4月終わりに電話を入れたが応答がなく、折り返しもない。党としては岬氏と連絡がとれないのでこれ以上、調査のしようがない」と話した。その上で、「弁護士と協議して、刑事告発するかどうか最終的に決めようと考えていた段階だ。疑いを持たれる時点で候補者として失格だ。減税日本公認としたことに対して、有権者におわびしなければならない。情けないことだ」との考えを述べた。昨年の衆院選は、日本維新の会単独の公認だった。選挙区の愛知5区は、大村秀章・愛知県知事へのリコール署名偽造事件で逮捕・起訴された、田中孝博被告(公判中)が当初、日本維新の会から立候補する予定だった。事件が発覚し田中被告が出馬を撤回。その後、岬氏が候補者となった。詳細な経緯について、日本維新の会の愛知県総支部代表、杉本和巳衆院議員に聞くと、「田中被告の事件後、岬氏から愛知5区で出馬したいとの申し出があり、昨年8月に総支部の幹部と2人で面談しました。実は、当時から岬氏の経歴にまつわる疑念がありました。私はそこを指摘して、『大丈夫ですか』と岬氏に確認をとり、問題ないという答えでした。それでも私には腑に落ちないところがあり、党本部に上申書を出し、岬氏が候補者の公認にふさわしいか、そちらで判断してほしいと依頼し、最終的に決まったんです」と説明し、こう続けた。「河村市長からの連絡もあり、『亜細亜大学非常勤講師』が虚偽の可能性があると聞かされた。事実なら大変申し訳なく思う。経歴詐称は絶対に許されない。岬氏は疑念についてきちんと答えるべきだ」愛知県では、過去にも経歴が大きな問題となったことがあった。1992年の参院選で、ラジオパーソナリティーで知られた新間正次氏が、当時の愛知選挙区から出馬(旧民社党)して当選した。しかし、選挙公報に書かれた<明治大学中退>が、虚偽であることが判明。公職選挙法違反(虚偽事項公表)の罪に問われ、94年に有罪が確定し、当選は無効となった。岬氏に事実関係を確認するため、携帯電話に連絡すると、「岬先生ですか?」との問いかけに、「はい、そうですが」と答えた。こちらが名乗ると、「マスコミですか」と慌てた様子で言い、突然、秘書という人物に電話をかわり、「他からもそういう(経歴についての)問い合わせがありました。今の段階で、コメントすることはありません」との回答があった。

(AERAdot.編集部・今西憲之)

2022/5/6(金) 7:00配信 aera.com

「例え当選無効となっても当選無効と認定された前に取得した歳費含めた収入は返還義務が無い。」ということだそうです。身を切る改革と言っている政党がこういうことをやっていてもいいのかな。


○事前説明に赴いた市長に浴びせた言葉
「何で俺の発言だけ問題あんねん、お前、こらぁ!」「ええ加減にせぇよ!  お前、こらぁ!  都合のええことしやがって、われぇ」
昨年9月に録音されたデータには、すさまじい怒号が飛び交う音声が記録されている。居酒屋での酔客同士の喧嘩ではない。場所は、奈良県橿原市議会の議長室である。なぜこのような場で、暴力団員のやりとりと見紛うばかりの怒鳴り声が響き渡ったのか。怒声の主は、橿原市議会議長(当時)の原山大亮氏。日本維新の会奈良県総支部で幹事長を務める市議である。一方、怒鳴りつけられていたのは、橿原市の亀田忠彦市長だ。なぜ、こんな騒動になったのか。音声が録音されたのは、昨年9月15日の午前11時から開かれた会合でのこと。亀田市長と、市議会議長だった原山氏、副議長や特別委員会の委員長らが出席した。実は奈良県では、2031年に国民スポーツ大会(旧・国民体育大会)の開催が内々定している。奈良県は、そのメイン会場として橿原市を推し、県立橿原公苑と市営橿原運動公園を交換し、整備を提案した。その案が、橿原市議会の特別委員会で審議されていた。市長の亀田氏は奈良県の提案に賛同し、市議会で可決を希望していた。だが、市議会では亀田市長派と反市長派の議員が拮抗し、賛成か反対か、微妙な状況だった。そこで亀田氏が、委員会の前に慣例になっている市議会議長らへの「事前説明」に赴いたのが冒頭のシーンだった。当日、まずは亀田市長が交換の提案について、委員会への資料をもとに説明をはじめた。だが数分ほどすると、突然原山氏が怒鳴り始めたのだ。その音声を書き起こしてみよう。
亀田市長「またいろんな意見を……もうこれをゴリ押ししようなんて、まったく思てないんですよ。でも、県と市が今まで協議してきた結果、一応のたたき台ができたので」
A副委員長(当時)「要は、これは(奈良県と橿原市の)合同案(の資料)いうことやねんな、ほんなら」
○「ええ加減にせぇよ!お前、こらぁ!」
亀田氏「その通りです。ほいで、ただ、委員会する前に議員さんに配ったやつ(資料)が先に出ちゃうとね、やっぱりいろいろと問題が」
原山氏「なんで、なんで俺の発言だけ問題あるって言われやなあかんねん」
亀田氏「何の話ですの……」
原山氏「何で俺の発言だけ問題あんねん。こらぁ、お前、市からのお前(奈良)県からの書類て書いてあるやつ、なんでお前、(橿原)市の意見も入っとる、お前、こらぁ」
亀田氏「そら県が作ったんですもん」
原山氏「お前の発言ほんなら問題ないんかい!  俺の言うことだけ問題あんのか、こらぁ」
この会合で提示した資料について、亀田市長が「委員会の前に外部には出さないように」と事前に守秘義務の遵守を求めたのが、原山氏の気に障ったようだ。ここで激昂した原山氏は、足で机を蹴ったという。A副委員長が「議長、ちょっとちょっと」と止めに入ると、亀田氏も「怒らんで話したほうがいい」と宥めた。すると、
原山氏「ええ加減にせぇよ! お前、こらぁ!  都合のええことしやがって われ!」
亀田氏「都合のええようなことなんか、なんもしてないですよ」
怒った原山氏は腰を浮かせて亀田氏に迫ろうとした。そこをA副委員長が「議長!」と声をあげて、冷静になるように求めた。
亀田氏「議会の意見聞く言うとるんですから」
原山氏「好きにせえ、ボケ!」
事務局担当者は原山氏の剣幕に「フッフッフッ」と場違いな笑いを浮かべるしかなく、A副委員長も「いやまあ」と言うだけ。
亀田氏「おかしないですよ、別に」
○仁王立ちになった議長
A副委員長は「いやいやいや」となんとか場を和らげようとした。だがそれでも、原山氏の怒りは爆発した。
原山氏「どこがおかしないねん。なんで俺のこと言うたらあかんねん。何が問題やねん、言わんかい!  お前の言うこと問題ないんか!」
亀田氏「(提案を)つぶしたろ言うたのは(原山)議長だけの意見でしょう」
原山氏「それで、お前、事前に資料配って議員に、何、制限かけとんねんお前」
亀田氏「だってこれ、委員会する前に公開するのおかしいでしょう」
原山氏「守秘義務あんのかよ。ほんなら、出すなよ」
亀田氏「なに?」
原山氏「制限かけんねんやったら、出すないうとんねん」
亀田氏「なんで制限かけたらあきませんの?」
原山氏「ちょっと法律教えたってよ。議員に制限、その、守秘義務あんのかどうか」
亀田氏「これかけることは法律違反ですか?」
事務局担当「いや、そら法律違反でもなんでもない。ただ、その……」
亀田氏「お願いします、でしょ?」
事務局担当「だからそれは、議長は、議員のそういういろんな資料をもらっていろんな……」
収録されている音声は以上だ。この後もしばらく、原山氏の怒りは続いたという。亀田市長に訊いた。「この音声のようなやり取りがあったのは事実です。市議会の中で怒号が鳴り止まない事態については、お恥ずかしい限りで、あるまじき行為です」とこの音声の存在を認めた。「原山氏は急に怒り出し、録音にあるような『お前、こらぁ』とすごんできたのです。仁王立ちになり、飛びかからんばかりになったこともあり、周囲が慌てて止めに入った。とても怖かったが説明をしないわけにはいかない。それでも、原山氏の怒りはなかなか解けませんでした。これまで、市職員からも原山氏の恫喝、叱責は聞いていました。録音の内容から、パワハラは当然ですが、強要、脅迫になりかねない。市職員を守るためにも、今、刑事告発など手続きを検討しています」(亀田市長)
○本人を直撃すると
一方で、原山氏はどう答えるか。「その日、確かに議長室で、意見対立して言い合いがあった。だが、恫喝とか強要とか、私はそんな言い方はしていない。声を荒げたりもしていません。なぜそんなことを亀田市長が言っているのか、わかりません」しかし、その場に同席していた橿原市の関係者はこう証言する。「原山氏の怒りようはすごかったです。立ち上がり、飛び掛かりそうなこともあり、肝を冷やしました。A副委員長が止めに入って事なきを得ました。亀田市長の説明に特段の問題は感じず、どうしてあんなに怒るのか、よくわかりませんでした。橿原市議会では、亀田市長派と反市長派で対立があり、そういう背景が、原山氏のひどい言動につながったのかもしれない」結局、奈良県から提案があった交換案は、昨年11月に、橿原市議会で否決された。亀田氏は別の案で、メイン会場を誘致する方向を模索している。橿原市は、神武天皇が祭られている橿原神宮で知られる歴史ある街だ。天皇皇后両陛下が2019年の即位の際には、橿原神宮近くの神武天皇山陵に拝礼に訪れている。今年4月22日には秋篠宮ご夫妻も参拝した。亀田氏が言う。「国民スポーツ大会には、天皇皇后両陛下がこれまでもご臨席されております。神武天皇の関係からも、橿原市がメイン会場になれば素晴らしいことだと個人的には思っていました。また、交換案では、メイン会場の周辺整備まで奈良県が費用負担するということで、橿原市に大きなメリットがあると私は推進をしていた。市議会で意見の違いはあって当然ですが、賛否について恫喝まがいに抑え込もうという手法は、民主主義にあって絶対にやってはいけない」
この3月に議長職を退き、現在は議会運営委員長を務める原山氏にとって、民主主義とは何だろうか。そして日本維新の会にとって、民主主義とは何だろうか。それが突きつけられる騒動である。

2022/4/27(水) 6:02配信現代ビジネス編集部

○もうやってられません
「昨年の衆院選で維新は、議席を大きく伸ばしました。しかし、党や議員の実態は大きく違う。もうやってられません。総支部は解散しました」こう話すのは、徳島市議の岡孝治市議会議員(67歳)だ。日本維新の会は、昨年10月の衆議院議員選挙で11議席から41議席へと大躍進した。岡氏は、日本維新の会徳島県総支部(徳島維新の会)の幹事長として昨年の衆院選でも手腕をふるい、吉田知代衆議院議員(徳島1区)の比例復活当選に尽力した。1991年、徳島市議会議員選挙で初当選以降、岡氏は7期連続当選を続け、2006年には市議会議長に就任した。もともとは自民党に所属していたが、たちあがれ日本、太陽の党を経て、2012年11月、石原慎太郎氏と橋下徹氏のトップ会談で合流が決まった維新に籍を置くことになった。岡氏が振り返る。「自民党など既成政党とは違い、なれ合いの政治から決別というのが石原氏や橋下氏の政治姿勢でした。その考えに私も共鳴してやってきた。維新に合流してもそれは変わらないと考えてきました。しかし、実際に私が見た光景は、既成政党とそう変わりがない実態でした。それでもなお、維新の松井一郎大阪市長という強力なリーダーについていこうと頑張ってきたが、もうダメですね」この岡氏が、維新の総支部解散という強硬手段に打って出たのは、昨年の衆議院選挙がきっかけだ。徳島1区は、自民党ベテランで現職の後藤田正純議員と野党系で無所属の元職・仁木博文議員の激突する構図だった。大阪では圧倒的な強さを誇る維新だが、四国では党組織も脆弱だ。そこで岡議員と当選3回の黒田達哉市議が名を連ねる徳島1区に白羽の矢が立ち、維新から吉田氏を擁立する流れになった。「最初に話があったのは、昨年夏くらいですかね。馬場幹事長(当時)や井上英孝衆議院議員から、四国で比例1議席が獲得できるかもしれないから、小選挙区は徳島1区で出馬させるかもしれないという話でした。徳島1区では後藤田氏の度重なるスキャンダルに有権者の怒りが渦巻いていました。維新としては自民党に勝って政権交代しなければならないので、当然、徳島1区では仁木氏を支援すべきとずっと活動してきました。そこで『四国で維新スピリッツを広げるのであれば、小選挙区よりも、比例区の候補を探すべきではないか。しかし党本部からどうしてもというなら、組織である以上仕方がない。ただし、現状では徳島にゆかりが深く、縁のある人でないと惨敗して供託金没収になるリスクもある』という返事をしました」(岡氏)

○徳島に住民票もなく、街宣車もない
しばらく連絡がなかったが、昨年10月、衆議院解散直前に徳島1区の候補が決まったと維新の党本部から告げられた。吉田知代氏。祖父母が徳島出身だというが、兵庫県の丹波篠山市議であり、徳島との縁はいささか薄い。岡氏は抗議したが、党本部の決定には従わざるを得ず、吉田氏の選挙戦をサポートすることになった。「実際に選挙を戦う段になり、吉田氏が徳島にやってきました。しかし、やる気があるのかと、正直、絶句しました。よく党本部はこんな人物を擁立したもんだとあきれた」と岡氏は語る。吉田氏は、徳島1区から出馬するにもかかわらず、住所はなぜか兵庫県内に置いたまま、ビジネスホテル暮らしを続けた。住民票が徳島にないため、選挙事務所も借りられず、選挙の街宣車もなかった。見かねた岡氏は、徳島市内の総支部事務所を選挙事務所とし、日本維新の会の看板をつけた岡氏名義の街宣車を貸すこととした。「『住所も兵庫県のままで、本気で選挙やるつもりあるのか? 』と、吉田氏には聞きましたよ。日本維新の会として出馬するのに、選挙事務所も街宣車もないということでは格好がつきません。党全体の恥になりかねなかった」(岡氏)だが、選挙戦早々、早々にトラブルが勃発した。吉田氏が岡氏の許可がないまま、日本維新の会徳島1区の事務所を総支部に置く登録をした。さらに、借り受けた街宣車を事故の危険性がある使い方をしたという。岡氏は吉田氏と話し合いの場をもった。「街宣車は看板があるため、普通のワンボックスカーより1mほど高くなるのに、扱い方が雑だった。私名義のクルマですから、事故があってはまずいと使用を禁じました」岡氏の吉田氏への疑念は、そんなことには留まらなかった。岡氏が続ける。「もともと吉田氏は、祖父母が徳島の出身ということで選挙にやってきました。私は徳島市の生まれ育ちなので、地縁血縁で維新の支持を広げたいと思いましたので、何度も吉田氏に親戚や祖父母のお墓はどこかと聞きました。しかし、吉田氏は『はあ、あの・・・・・・』というばかり。本当に徳島につながりがあったのかと疑念を持ちました。なんでこんなひどい候補を徳島に送るんやと、党本部にも怒り心頭の気持ちでした」

○「国会議員も地方議員もフラット」の嘘
それでも、岡氏は事務所の使用は認めたうえ、最後まで選挙の支援を続けたという。10月31日、衆議院選挙の投開票当日。徳島1区では早々と、野党系の無所属元職・仁木氏の当確が決まり、落選した自民党の後藤田氏も比例復活を決めた。当初から比例狙いだった吉田氏の結果はどうなったか。維新は全国的に大きく支持を受け、四国比例ブロックで1議席を得た。四国から維新で出馬していたのは、吉田氏を含めて3人。惜敗率トップの1人だけが当選することになったが、日付がかわってから吉田氏が惜敗率1位と判明し、当選が決まった。だが惜敗率は20.1%。吉田氏が獲得したのは2万65票で、1位の仁木氏は9万9千票だったから、ぼろ負けと言える。昨年の衆院選の比例復活当選者では最も低い数字で、歴代の衆院選でも3番目に低い惜敗率での当選だった。吉田氏は、当選後のインタビューで「活動期間が短かった。知名度ということで認知が難しかった」と語った。岡氏が振り返る。「吉田氏の当選を受け、いろいろあったものの、わが党からの当選ということでありがたいとは思った。ところが、当選の後、マスコミの記者から何本も電話が入り、こう言うのです。《吉田氏が「郊外に大規模な商業施設を誘致、公園を作り徳島を発展させたい」と
言っているが、大丈夫か?》徳島1区の中心である徳島市は、JR徳島駅前のビルから百貨店が撤退しています。郊外ではなく、繁華街の再開発事業が最も重視されているのが現実です。それなのに何を言っているのか? 何も徳島のこと知らない吉田氏とはやっていけないと、匙を投げました」今年に入って、岡氏は維新の徳島総支部を解散し、維新も離党することを決めた。岡氏が続ける。「維新は、国会議員も地方議員もフラットな政党であったはずです。しかし吉田氏の擁立劇でわかったのは、国会議員が上から目線で強引に地方議員を抑え込んで、地元の事情も精査せず候補を立てている現実です。背景には、維新の国会議員同士で続く激しい主導権争いがあります。徳島1区がそのダシにされていたのもわかりました。既存政党と同じ、改革の維新スピリッツはどこにも感じなくなった。維新が躍進、支持率アップしているのに総支部解散と疑問に思う声も届きます。しかし、こんなことでは維新に未来はありません」徳島総支部の「解散」という前代未聞の反乱劇は、日本維新の会という政党に、確かな軋みを生じさせている。

2022/3/8(火) 6:02配信現代ビジネス編集部

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